凜一シリーズを読み返して②

今回は「表面vs内面」の対比に挑戦してみようと思います。
前回「凜一シリーズを読み返して①」と重なる部分もあります。

ちょっとまとまり切れない部分があるので、後日編集するかもしれません…

表面 vs 内面

碧空から有沢さんが「表層」というテーマを引っ提げて大登場します。
最初読んだときは「氷川さんという人がいながら、なんで横道にそれるんだ…」と思っていましたが、凜一の浮気性を際立たせたいわけではなくて(笑)、氷川さんとの対比をキレイに出して、氷川さんへの気持ちを際立たせるためだったんだ!!と思い直しました。

簡単に表にしてみました。

表層=有沢さん内面=氷川さん
身体、外面(うわつら)、感情・内面・自我・思い出などを否定する感情・精神
出会い一瞬の出会いは期待しない突然の出会い
感情露出(碧空より) 内面に立ち入らせない
(若葉のころより) 感情的に寄り添うことを拒む
(彼等より) 感情が優先する氷川の正直さに、凜一は救われている
(若葉のころより) 兄のことを話したのは、凜一が初めて
作品に対する考え(碧空より) 作品に感情や内面なんてものはいらない
思い出だの感動だのは陳腐
(彼等より) 凜一にとって挿けた花は人格に等しいもの

感情露出について

凜一くんは人に寄り添われたい、さらには寄り添いたいという願望が強いと思います。
ずっと甘えられる人がいなかったため、誰かに寄りかかりたいと思う一方で、有沢さんに対しての態度や正午くんが参ってしまった時の様子を見ても、誰かに頼りにされたいし寄り添いたい願望もあるのかなと。

それには相手をよく知る必要があるわけですから、
相手が何を思っているか・何を望んでいるか=内面・感情
を共有してもらう必要があります。
(全部は不可能だったとしても)

氷川さんは思ったことがすぐ言葉・態度に出るため、凜一はそこを好ましく思っています。
氷川さんがぶっきらぼうな態度をとっても、「よっ、待ってました!!」と言わんばかりに喜んでいます。どんだけ好きなんだよ。

前回の凜一くん好きな人ランキングでも書きましたが、この内面露出度がバチバチに高い氷川さんが、凜一くんにとって最強なわけです。
しかも最終的には「兄のことを話したのは凜一だけ」なんて言われたら、凜一のおかげで自分を肯定できたなんて言われたら…泣いちゃう(私が泣いている)

一方の有沢さんですが

碧空で凜一と有沢さんが野茉利(エゴノキ)を見に行くのは、凜一なりに有沢さんの内面に寄り添いたくて連れ出したと思いますが(なので自分の身の上話をする)、勘違いすんなと突き放されてしまいます。凜一は最後まで有沢さんに寄り添いたかったんだと思いますが、この二人が上手くいかなかったのは、そこの歩み寄りができなかったためかと…
凜一と「身体的不安(有沢さんの内面の部分)」を共有するには、凜一は健康で強か過ぎたのかもしれません。

余談ですが、若葉のころで「有沢さんと正午が身体的不安を共有したのかな?」と凜一は察していますが、とすると有沢さんは内面開示を正午くんに許したわけで、正午くんもまたそれに呼応していると…私的にはいいじゃんいいじゃん最高じゃんという激熱展開です。めっちゃお似合いじゃないですか。正午くんは「見た目が従兄さんに似てるから構ってくれる」と言っていたけれど、有沢さんは外面しか見ないのをホントは一番嫌う人だからね、そこんとこ分かって頂戴、君は愛されているアメリカへ行け(ノンブレス)

作品に対する考え

有沢さんは「作品に感情や内面は不要。思い出や感動なんて陳腐なものは、見る方がたまらなくなる」と主張しており、凜一もたびたび賛同しています。もともと白昼堂々でも、なりすましで美術館に行ったときに「感傷を誘う絵は好まない」と言っていました。碧空で省子と作品の話をした時は、「季節や情緒を感じさせようと細工をしても、見る人の記憶や感覚に結びつかないと意味がない」、さらには凜一を見に来る人は凜一自体(=外面)に興味があって見に来る、と言っています。

これらの発言からするに、感情がのっている作品が好きではないというよりも、外面しか見られなかったために内面を否定してしまった、という印象を受けます(凜一・有沢さんともに)
または、弱み(内面)を見せるのが嫌・弱みを見せても意味がないから。
本人たちは強がっているか自覚がないのかもしれませんが、内面は不要と言い切ることで、自分の情緒や弱さから目を背け自分を守っている。

そんな主張があったあとでの氷川享介さんなんですけれども…

彼等の終盤で、凜一がお兄さんのお墓に挿けた花を、立河がやったと思って氷川さんが捨てちゃった後の発言。
「凜一にとって挿けた花は人格にひとしいもので本質なのではないか?」と、作品=内面であると想像しています。

直後に凜一は作品に人格が現れるとは言い切れないと言っていますが、自身も立河の挿けた花には思いや人格を見ているわけで、やはり作品に感情が乗ると信じたいという気持ちがあるのでは。

また、氷川さんが花に凜一の人格を感じてくれたというエピソードは、道化でしかなかった凜一の本質を見てくれた証拠になっていると感じます。
そして余談ですが、凜一が立河の挿けた花に人格を見て、お兄さんは間違ってないと氷川さんを慰めたのもまた、精神的な部分で氷川さんと凜一が寄り添いあっている点で印象的です。

身体vs精神については、他の人たちも言及していますが、そこまで書くとぐちゃぐちゃになってしまうのでこれにて…
とりあえず自然とやってのける氷川さんすげぇって話です。
(ちなみに藤沢さんは氷川さんの身体しか見てなかったらしいので、氷川さんにとっても凜一は内面を見てくれた最高の相手ですきっと☆)

凜一の枝の挿け方と恋愛観

氷川さんと有沢さんの対比で余談。
主に白昼堂々の内容ですが、「撓(た)めの利かない枝」と凜一の恋愛観に関してです。

白昼堂々で、凜一は千尋さんに「なんで氷川君のような、どうにもならない相手(=撓めの利かない枝)に手を出してしまったんだ?」と説教された部分を少し整理したものです。

いつも対・氷川さん
凜一の恋愛同性に興味がない人は避ける突然の出会い
凜一の枝の挿け方これと頼んだ枝を選ぶ
→「撓めの利かない枝には手を出すな」が晟先生の教え(千尋談)
氷川さん=撓めの利かない枝
→出会いが突然だったため、避ける(選ぶ)ことが出来なかった

※有沢さんの考え:素材との偶然の出会いに期待せず、素材は自ら選び取る(いつもの凜一の考えと同じ)

白昼堂々の中でスッキリ完結する話の印象でしたが、碧空以降の有沢さんの思想と対になっていて、ここでも氷川さんvs有沢さんの対比がなされているなぁと感じたためメモです。